今日は先週のツーリングですっかり汚れたハーレーの洗車。
洗車してると、知らないおじいさんに声かけられた。
ここらは下町なので洗車してると通りすがりの人によく声かけられる事が多い。
「ピッカピッカやなぁ~」
「ははは、まぶしいでしょ」と俺。
「昔俺のツレもなぁ、こーゆう大きいヤツ乗っとったわ、みんな死んじまったけどな。」
「今日は暑いなぁ、わしが昔おった炭坑も毎日このくらい暑かったわ。冬でも今日ぐらい暑かったなぁ」
「おとうさん、炭坑にいたの」と俺
「そーや、15の時、中学卒業したら、満州に行くか製鉄所に行くか二つしか選べんかってな、満州に行くって行ったら反対されて名古屋の製鉄所で働いとったんや、その後九州の炭坑に行ってな。」
「名古屋の製鉄所も暑かった。溶けた鉄は1800℃や。戦闘機の部品とかな、作っとったわ。わしと一緒に働いてた先輩二人が1800℃の溶けた鉄を頭からかぶってな、一人は目の前で溶けて跡形もなくなっちまったわ。骨もなんにも残らずな。もう一人は死にはせんかったが、全身火傷で顔もなんもわからへんわ」
「えー、それはショックだったでしょ。目の前で」
「そりゃショックやったよ。さっきまで一緒に話しとった先輩が溶けて消えちまったんやでな」
「・・・・。」
「そんな目に合って日本の為に働いて今この平和な日本があるのはおとうさん達の時代の人のお陰やね」
「さぁ、どうやろうなぁ~(笑)」
「おとうさん何年生まれ?」
「昭和3年や。80歳や」
「15の頃の製鉄所の夢とかいまだに見るの?」
「ほりゃ見るよ。忘れられんよ、死ぬまで」
「さて、あんまり掃除の邪魔しちゃあかんで、パチンコでも行ってくるわ、ほながんばってキレイにしやあよ、ほんと最近は不景気でパチンコも出やせんわ。ははは」
夏の日の午後のちょっと切ない昔話。
おとうさん、来月65回目終戦記念日が来ますね。
いつまでもお元気で。